なだ万の歴史

創業1830年(天保元年)~1922年(大正11年)

1830年(天保元年)

初代・灘屋萬助が料亭「灘萬」の母体というべき料理屋を大阪で創業

1871年(明治4年)

長崎料理を基調とした大阪料理の店「灘萬楼」を開業

明治中ごろ

綜合食料品店を開設して、今日のスーパーマーケットの先駆者となり、当時としては最新商品であるパンを売り出す。文化人たちの作品の中にもなだ万は生き続けています。

仕舞に彼は灘萬のまな鰹とか何かというものを是非父に喰わせたいと云い募った。
(夏目漱石「行人」より)

夜菊池常三郎、緒方収二郎と灘萬に飲み、帰途中嶋朝日軒に遊ぶ。・・・・・灘萬の割烹は好し。 
(森鴎外「小倉日記」より)

1919年(大正8年)

西園寺公望公のパリ講和会議の欧州随行料理人として灘萬の三代目・楠本萬助が選ばれる。
この功労により、西園寺公とゆかりある住友本家よりイゲタの紋の使用を認められる

1922年(大正11年)

大阪北浜二丁目に、食品デパートを開設。
洋式ホテルの経営にも進出。
レストランではジャズ演奏を行ない、当時「灘萬ジャズ」と呼ばれる

1970年(昭和45年) ~

1970年(昭和45年)

東京の帝国ホテル本館に日本料理店を開店

1974年(昭和49年)

大阪今橋の本店を東京のホテルニューオータニ日本庭園内に移転し「なだ万本店 山茶花荘」と称す

1981年(昭和56年)~

1981年(昭和56年)

香港(九龍)シャングリラホテルに海外一号店を開店

1986年(昭和61年)

東京サミットの公式晩餐会が中曽根首相の主催により山茶花荘で開催される
レーガン大統領、サッチャー首相はじめ各国首脳より好評を博す

1993年(平成5年)

新宿小田急マンハッタンヒルズに日本料理をはじめ、寿司・天婦羅・鉄板ステーキと4つのコーナーがそろった総合日本料理店「なだ万賓館」を開店

1995年(平成7年)~

1995年(平成7年)

三越日本橋本店に弁当・惣菜販売の「なだ万厨房」が初進出

2000年(平成12年)

赤坂東急ホテル最上階に(現・赤坂エクセルホテル東急)400坪を有する国内店最大規模で新業態の「スーパーダイニングジパング」を開店

2005年(平成17年)

愛知万博(愛・地球博)へ万博協会からの要請により日本料理の代表として出店。好評を博す

2011年(平成23年)~現在

2011年(平成23年)

創業180周年記念事業を実施。

なだ万初の料理本「なだ万 日本料理の真髄」を発売

2012年(平成24年)

伏見稲荷神社に鳥居奉納

2013年(平成25年)

180周年社史を制作